クリスマス・イーヴ

アーヴィング

高垣松雄訳




聖フランシス樣、聖ベネディクト樣、
この家を惡しき者共からお守り下さい。
夢魔と、あのロビン殿と呼ばれる
物の怪からお守り下さい。
惡靈共が襲ひ入りませぬやぅぅ、
妖精や鼬鼠、鼠、狸などの入りませぬやぅぅ、
夕の鐘の鳴る時から
翌朝までお守り下さい。

カートライト

 皓々と月照る夜であつた、けれど寒さは嚴しかつた。わたし達の馬車はてついた大地をりんりんと疾驅した。馭者は絶え間なく鞭を打鳴し、馬は暫く勢よく疾走を續けた。「馭者は行先を心得てゐるのです」わたしの道連れは笑ひながら云つた。「それに召使部屋がまだ賑かに笑ひさざめいてゐるうちに行き着かうと思つて一所懸命なのです。わたしの父と云ふのは、よろしいですか、頑固な昔者でしてね、古風なイギリスぶりの饗應が自慢なのです。父ほど純粹にイギリス田舍紳士の型を保つてゐる人間は今時いまどき珍しいでせう。今日財産でもある人達はロンドンで過すことが多く、流行は盛に田舍に流れ込んで來るのですから、昔の田園生活のあのぐんと特色のあるところはもうあらまし研ぎ減らされて了つてゐますよ。ところが父は若い頃からチェスタフィールドの代りに地道なピーカムを金科玉條としてゐたのです。腹の底で思つてゐることはですね、眞に誇るに足り羨むべき境遇は祖先傳來の土地に住む田舍紳士のそれに過ぎたるはないといふ考だものだから、年がら年中自分の領地で暮してゐます。父は熱心に昔の田舍の遊び事や休日の慣例などを復活させることを主張して、凡そこの問題を論じた古今の書物に廣く通じてゐます。實際、父の愛讀書と云へば、少くとも二世紀以前に名を賣つた人たちのものですね。そして父に云はせると、その頃の人の方が、その後に出て來た人達よりも眞にイギリス人らしく物を書いたり考へたりしたのださうです。で、時には愚痴のやうに、もう二三世紀早く生れなかつたのが殘念だと云ふこともある位です。イギリスもその頃はほんたうにイギリスらしく獨特の風俗習慣と云ふものを持つてゐたと云ふわけです。邸は街道筋から可成り離れてゐて淋しい處ですし、近郷には向うを張る名家とてもないので、イギリス人として何よりも羨むべき幸福、つまり自分の氣儘に振舞つて誰からも邪魔をされないといふ境涯にあるのです。あたりで一番の舊家を代表する人ではあり、また百姓たちの大部分は父の小作人なので、非常な尊敬を受けて、普通にはただ『地主樣』の名前で通つてゐます。これはもう大昔から當家の家長につけられてゐる稱號です。わたしの老父についてこれだけのことを申しておけば、これであなたも、父の變哲ぶりに喫驚なさらないで濟むでせう、でないと莫迦莫迦しく見えないとも限りませんからね。」
 わたし達はやや暫くの間莊園の垣に沿うて進んで行つたが、つひに馬車は門口の所に來て停つた。それは重々しく、宏壯古風な樣式で、鐡の閂を備へ、上部は奇想を凝した華やかな唐草と花模樣で飾られてゐた。門扉を支へる巨大な角柱は頂上に一家の紋章をめぐらしてあつた。門に接しては番人の家があつたが、鬱蒼たる樅の樹蔭に隱れ、殆ど植込の中に埋つてゐた。
 馭者は門番の大きな鐘を鳴した、鐘の音は靜かな凍てついた空氣の中でりんりんと響き渡り、之に應じて遠くで犬の吠えたてる聲がした。犬たちがこの邸宅を護つてゐるのと見える。一人の老媼が直に門口に現れた。月の光がけざやかに老女の上に降りそそいだので、わたしは一人の小造りで素朴な婦人の姿を隈なく見ることが出來た、身なりはいかにも古風な趣味で、小ざつぱりとした髮被ひと胸飾を着け、銀のやうな髮毛が雪白の帽子の下から覗いてゐた。彼女は膝を屈めて敬禮しながら、若主人を迎へる歡びを顏にも言葉にも現すのであつた。夫は恐らく、お邸へ行つてクリスマス・イーヴを召使部屋で祝つてゐるのであらう。この男がゐないと座が持てなかつた、お邸では一番の唄上手、話上手であつたのだ。友人の申出に從つて、わたしたちは馬車を降り、莊園の中を歩いて邸館まで行くことにした。遠い距離ではなし、馬車は後からついて來るのであつた。行く手はうねうねと續く立派な並樹道で、裸の枝の間に光をこぼしながら月は澄み渡つた大空の深い穹窿を渡つてゐた。彼方の芝生は一面に雪に薄く蔽はれ、それが彼處此處煌いてゐるのは、月光が凍つた結晶體に反射してゐたのである。そして離れたところから見れば、薄い透明な水蒸氣が忍び足して低地から這ひ騰り、次第にこの風景を蔽ひ包まうとするのであつた。わたしの同伴者は恍惚とあたりを見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)した――「ほんたうに幾度」と友人は云つた、「わたしはこの並樹路を駈けぬけたことか知れませんよ、學校の休暇で家へ戻つた時にね。いつもいつも、子供の時わたしはこの樹の下で遊んだことでせう。これらの樹々に對して何か親のやうな一種尊敬の念をわたしは感じるのです、恰度子供の時わたし達をいつくしんでくれた人々を仰ぎ見るやうなものですね。わたしの父はいつも細かに神經を働かせて、わたし達の休暇は定つてきちんと取らせ、家族と守る祝祭日にはわたし達を自分の傍に集めたものです。父はいつもわたし達の遊び事の指圖をしたり監督をしたりしましたが、それは嚴しいもので、どこかの親たちが子供の勉強を見てやるのと同じでしたよ。父は非常にやかましく云つて、わたし達に昔のイギリスの遊びを昔の儘の方法でやらせたものです。そして古い書物を調べては、どんな『樂しい遊び』にも先例典據を得ようとしました。それでもですね、衒學といつてもあんな愉快なのはありませんでした。あのいい老紳士の綱領として、自分の子供達に家庭が此の世で最も樂しいところだと感じさせようとしたのです。そしてわたしは、この味ひ盡きぬ美しい家庭的情緒を、親の與へ得る贈物のうちで最も貴いものと高く買つてゐます。」と、わたし達の話を遮つて喧しく喚きたてる犬の一軍があつた、いろいろな種類、いろいろな大きさの犬で、「雜種、兒狗、大小の獵犬、劣等種の犬」が門番の鐘の音とがらがら通る馬車の音に驚かされて、口をくわつと開き、芝生の向うの方から飛んで來るのであつた。
「兒狗のやつまで一緒になつて、
 トレイも、ブランチも、スウィーハートも、
  こんなに、わたしに吠えつくのだ。」
 かう大聲で云つてブレイスブリッジは笑つた。彼の聲が聞えると吼哮は歡びの叫びに變つて忽ちにして彼はこの忠實な動物どもに四方から飛びつかれ、じやれつかれて、殆ど手の下しやうがなかつた。わたし達はもうこの古いやかたの全貌が見えるところに來てゐた。建物は半ばは深い蔭の中にあり、半ばは寒い月光に照されてゐた、その形状は不規則的でずゐぶん宏壯な構へであるが、次々に異る時代に建てられたもののやうに思はれた。その一翼は明かに極めて古い時代のもので、どつしりした石の圓柱を持つた弓形張出窓には常春藤きづたが這ひ纏はり、葉の茂みの間で小さな菱形の窓硝子が月影に煌めいた。建物の他の部分はチャールズ二世時代のフランス趣味に從つて造られてゐて、この改修を加へたのは、わたしの友人の語るところによると、彼の祖先の一人で王政復古時代にチャールズ二世に隨つてイギリスへ歸國した人であつた。家の周圍まはりの敷地の設計つくりは、昔の一定の形式に則つたもので、人工的な花壇や刈込んだ植込、一段高くなつてゐる平場テレス、どつしりした石造の手摺、(その上に裝飾の壺が置いてある)、銅像が一つ二つ、それに噴水などがあつた。當主の老紳士は細心の注意を拂つて、この時代遲れの裝飾をすべて原型のままに保存しようと苦心してゐるとのことであつた。この樣式の造園法を愛賞して、それが宏壯の氣に滿ち、典雅高貴の風格を備へ、由緒ある舊家の樣式として良く適合してゐると考へてゐたのである。自然の模倣に終始する近代の造園法はもともと現代の共和思想と共に端を發したのであつて、これは君主政體には適合しない。そこにはあの社會的な水準化の傾向の匂がすると云ふのであつた。わたしは、政治を造園の問題に結びつけるのを聞いて微笑を禁じ得なかつたので、この老紳士が自己の信條に幾分こだはりすぎはしないかと懸念する旨を述べた。するとフランクは、この他には父が政治に觸れたのを耳にした例が殆どないと云ひ、父がこんな考へを懷いたのは或る國會議員が曾て數週間滯在してゐた間のことであると信じてゐた。この地主殿は刈込んだ水松いちゐや型に嵌つた平場テレスを辯護するためにはどんな理窟でも喜んで受入れた、さうしたものはそれまでにも屡々近代的な造園家たちから攻撃されたのだつたから。
 館に近づくにつれて音樂の音が聞えて來た、そして時々どつと笑ふ聲もした。それは建物の一方の端からであつたが、ブレイスブリッジの言葉によると、確に召使部屋から聞えてくるのであつて、この部屋では思ふ存分に歡を盡すことが許される、いな御主人から獎勵される位で、クリスマスの十二日間ぶつ續けだつたが、ただ何事も昔の慣例に從はねばならなかつた。ここでは昔の遊び事がそのまま保存されて、鬼ごつこ、罰金遊び、目隱物當、白菓子盜、林檎受、葡萄取などが行はれた。ユール・クロッグ〔クリスマス・イーヴに焚く木〕やクリスマスの蝋燭は絶やさぬやうに燃され、寄生樹やどりぎは白い實をつけて掲げられ、綺麗な女中たちに今にも危險をふりかけさうであつた。
 召使たちは遊びに夢中になつてゐたので、わたし達は幾度も幾度も呼鈴べるを鳴してやつと通じることが出來た。わたし達の到着が傳へられると、直に家長自身が他の二人の子息と一緒に出迎へに出て來た。子息の一人は陸軍青年士官で、賜暇を得て歸省してゐたのであつた。いま一人はオックスフォードから戻つた大學生であつた。主人は人柄で、健康さうな顏附の老紳士、銀髮がかるく縮れて、隈のない赭顏を包んでゐた。觀相家はこの赭顏の中に、わたしのやうに前以て二三の暗示を聞く便宜があれば、氣紛れと慈悲心が不思議に混り合つてゐるのを見るのである。
 父子再會の有樣はいかにも愛情に滿ち溢れてゐた。夜は更けてゐたので、老主人はわたし達に旅裳束を着替へることも許さず、すぐさま大勢集つてゐるところへ案内したが、團樂の場所は古風な大廣間であつた。集つた顏は、あれやこれやの關係の親類縁者達で、よくあるやうに老衰の境に入つた獨身の婦人、若々しい花の盛りのいとこ達、一人前になるかならぬかの若者たち、そして朗かなをした寄宿舍學校のおきやんのお孃さん方が寄つてゐた。みんなは思ひ思ひのことをしてゐた、幾人かのものは銘々に札をもつて骨牌かるたとりをする、他の幾人かは爐を圍んで話合ひ、廣間の一隅に陣取つた若い一群は、もうすこしで大人に成ると云ふ年頃やまだうら若い蕾の年頃のがまざつて賑かな遊びに我を忘れてゐた。それからまた、木馬や、玩具の喇叭、こはれかけた人形などが床の上に狼藉の跡をとどめてゐるのは、多勢の小さい妖精たちのゐる證據であるが、その妖精たちは樂しい一日を跳ね※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて、今はもう眠の國に運び去られ、すやすやと平和な夜をすごしてゐるのであつた。
 お互の挨拶が若いブレイスブリッジと親戚の間に交されてゐる間に、わたしには室をひとわたり眺め渡す暇が出來た。わたしは今まで廣間と呼んで置いたが、實際たしかに昔は廣間であつたもので、老主人も明かにそれを昔の儘の姿に修復しようと心掛けたものと見えた。どつしりと突き出てゐる煖爐の上には、甲冑をつけて白馬の側に立つた武士ものゝふの肖像が掛つて居り、それと向ひ合つた側の壁には兜と楯と槍が掛つてゐた。室の一端には非常に大きな鹿の角が壁の中に嵌め込んであつて、その鹿叉は帽子や鞭や拍車を懸ける用をなしてゐた。室の隅々には鳥銃や釣竿、その他遊獵の道具が置いてあつた。家具は前代の物々しく手數のかかつた造り方であつた、とは云つても當時の便利な品々も幾らか加へられてゐる、樫材の床には絨毯じゆうたんを敷いてあるので、全體の感じは應接間と廣間の奇妙な寄せ集めであつた。
 鐡床は大きな、のしかかるやうな煖爐から取り外されて、薪火たきぎを燃すやうにしつらへ、その眞中にはすばらしく大きい丸太が赫々と燃えさかつて、大量の光と熱とを發散してゐた。これがユール・クロッグと云ふものだとのこと、老主人が特別に心を用ひてクリスマス・イーヴに運び込んで燃やし、昔の慣例を守つたのであつた。
 まことに目に喜ばしく映つたのは老主人の姿であつた。親讓りの肱掛椅子に腰をかけ、客人をもてなす先祖代々の爐を傍にして、あたりを見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)す樣子は列星の中心の太陽が、一人一人の心に温みと歡びとを放射するのにも似てゐた。躯を伸してその足元にねころがつてゐる犬でさへ、もの憂げに寢がへりをして欠伸をする時には、懷しげに主人の顏を見上げ、尾を床にばたばたさせて、また伸々と眠につくのであつて、その温情と庇護に頼り切つてゐるのであつた。この純眞な款待の中には何か心の底から流れ來るものがあつて、それを言葉では描き出せないが、直に精神に感應して、新來の客人をも打寛がせるのであつた。幾分も經たぬうちに、この尊敬すべき老騎士の心地よい爐邊に座を占めてゐたわたしは、家族の一員であるかのやうに打ち融けた氣持になつてしまつてゐた。晩餐が報ぜられて間もなくわたし達の着いた饗應の室は樫材で造られてゐて、鏡板は蝋で光澤をだし、周圍の壁には家族の肖像が掛けてあつて、柊と常春藤きづたで飾られゐた。きまつて取附けてある燈火の他に二本の大きな蝋燭が立てられ、これはクリスマスの蝋燭と呼ばれるものであるが、常盤木に包まれて、美しく磨かれた食器棚の上に一家傳來の磁器皿と並べて置いてあつた。食卓には身になるたべ物が山と盛りあがつてゐた。尤も老主人はフルーメンティで晩食を濟せた。この料理は小麥を牛乳で煮て藥味で味をつけたもので、昔クリスマス・イーヴにはお定まりの一皿であつた。
 わたしにとつて嬉しかつたのは舊知のミンスト・パイをづらりと並んだ御馳走の隨員の中に見つけたことであつた。そしてこのパイが完全に格式通りのものと分り、またこれがわたしの大好物であることを恥ぢるに及ばぬと分つたので、いつもわたし達が昔馴染の大變上品な知友に挨拶する時のあの温い友情を籠めて、わたしはこのパイに挨拶したのであつた。
 一座の興を引立たせた面白い變り者があつて、彼をブレイスブリッジ君はマースター・サイモンと云ふ變つた呼び名で呼びかけてゐた。彼はきちんとした服裝をつけてきびきびした小男で、その物腰は正眞正銘の獨身老人であつた。鼻の形は鸚鵡の嘴のやうで、顏には微かに天然痘の痕があり、秋の霜にあつた木の葉のやうに、いつも乾いて赭みを帶びてゐた。その眼は敏捷で活々として居り、その底から覗いてゐる茶目つ氣は何人なんぴとの頬をもほころばせずにおかない底のものであつた。彼は明かに一族中の曾呂利で、婦人たちに向つて人のわるい冗談やあてこすりを盛に投げつけ昔からの話の種をむしかへして、いつまでも皆のものを可笑しがらせた。尤も不幸にしてこの古い話の種は、わたしが一族の年代記を知らないため、面白く聞くわけにはいかなかつた。見てゐると此の人物が得意になつて喜んだことは自分の隣席にゐた若いお孃さんをひつきりなく笑はせ、笑ひをこらへるのがせつないほどにさせたことであつたらしい。お孃さんは自分のお母樣が怖い顏をして向ひ側でたしなめてゐるのを知つてゐても笑ひがとまらなかつたのである。實際、彼は一座のうちの若い人たちにとつて人氣の的で、彼等は此の人の云ふこと爲すこと、その一つ一つの顏附にもどつと笑ひけるのであつた。それもその筈で、彼等の目にはこれが奇蹟とも云へるほど百藝に長じた人と映つたに違ひないのである。彼はパンチとジューデイの人形芝居の眞似が出來た。自分の片手でお婆さんを拵へることができた、これには燒けたコルク栓とポケット用ハンケチとを利用した。オレンヂをおどけた恰好に切つて、若い連中を抱腹絶倒させることが出來た。
 わたしはざつとではあるが此の人物の身の上話をフランク・ブレイスブリッジから聞かされた。彼はいつまでも獨身でゐて、僅かながらも自活できるほどの收入があり、それを心がけて遣へば不自由なしに暮してゆけるのだつた。彼は血縁つづきの間を、まるで氣まぐれな彗星の軌道を運行するのと同じやうに、あちらの引つかかりから今度はそつぽの遠いつながりの處とわたり歩いてゐた。之は親戚の澤山ある併し財産の少ししかない紳士がイギリスではよくやることであつた。彼は口の輕い陽氣な性質で、いつも現在の瞬間を享樂した。そして始終居所を變へ附合ふ相手が變るので、獨身の老人には無慈悲に取りつくあの錆ついた融通の利かない習癖に煩はされずに濟んでゐた。彼に訊けば一族の年代記はすべて判明し、ブレイスブリッジ一家全族の系譜、歴史、婚姻關係に精通してゐるので、彼は老人の間で非常に氣に入られた。彼はまた老夫人や老い朽ちた老孃達の間では伊達者で通り、普通寧ろ若い人と見做される例であつた、そして子供仲間ではクリスマス祝祭の取持役であつた。かうしたわけで、これ以上人氣のある人物はサイモン・ブレイスブリッジ氏の出沒する圈内には他にゐなかつた。近年は殆ど全く老主人の邸に寄寓して執事のやうな役を勤め、わけて家長とは昔語りで馬を合せて氣に入られ、また時時に應じて昔の唄の一くさりを吹いて喜ばれた。わたし達は間もなく、この最後に述べた藝の見本に接することが出來た、と云ふのは、食事が片附けられて、香をつけた葡萄酒とかその他季節向きの飮料が運ばれて來ると早速、マースター・サイモンに昔のクリスマスの歌を一つと所望されたのである。一寸の間考へてから、目を輝かせ、惡くない聲で――ただ時々裏聲になつて、裂けた蘆笛のやうな音をだした――古風な小唄を一曲聞かせた。
「クリスマスが來たよ、
 太鼓鳴らせうよ、
 隣近所を呼び集め、
 顏がそろたら、
 御馳走祝うて、
 風もあらしも寄せつけまいぞ……云々」
 晩食のお蔭で誰も彼も陽氣になつてゐた、で、老竪琴師が召使部屋から呼びだされて來た、彼は一晩中そこで絃をぶるんぶるん鳴し續けてゐたのであつた。この男はどう見ても、地主家手製のビールをきこしめして愉快になつてゐた。彼は此の邸の謂はば居候で、世間體だけは村の住民だが、地主樣の臺所にゐる方が多いと云ふことである。それと云ふのも老主人が「廣間に響く竪琴」の音を喜んだからであつた。
 舞踏は晩餐後の例として、浮き浮きした氣分が漲つてゐた。年寄連中のうちからも加つたりして、老主人までが或相手と組んで幾組かの踊手たちを顏色なからしめた。老主人自らの言葉によれば、その相手とは殆ど半世紀近くもの間、クリスマスの度ごとに踊つたのだと云ふ。マースター・サイモンは前の時代と今の時代を繋ぐ連鎖と思はれ、それと共に身についた藝ごとの味ひに少し古臭いところがあつたが、したたかに踊が自慢で、ヒール・アンド・トウやリガドゥーンやその他昔風の足の踏み方で信用をえようと努めてゐた。ところが運惡く組んだ相手が寄宿學校の小さなお轉婆娘で、彼女の元氣がよすぎるため彼は絶えず油斷ができないで、優美に踊らうと云ふ彼の眞面目な試みも挫かれてしまつた。かうした不似合な相手と結びつくことは老年紳士が不幸にしてよく見る例である。
 若いオックスフォードの大學生は、未婚の叔母の一人を舞踏に誘ひ出したが此のやんちや者は彼女にあれやこれやありつたけの小さな惡戲をしながら、平氣な顏ですましてゐた。彼は實に冗談が上手で、叔母や從姉妹たちを揶揄からかつて苛めては面白がつてゐた。でも、凡て向う見ずな若者同樣、異性の間ではみんなに好かれた。尚また一番興味を惹いた一組は若い士官と、老主人に後見されてゐる、花も恥ぢらふ十七の少女であつた。その宵のうちにわたしの氣づいたことであるが、幾度となく羞ぢらひ勝ちに見交はした瞳からして、二人の間に優しい思ひが芽ぐみつつあるのではないかと思はれた。たしかにまたその若い軍人はロマンティックな少女を擒にする勇士に相應ふさはしかつた。彼は背が高く、すらりとした好男子で、また近年多くのイギリス士官の例に洩れず、色々と細かな身嗜みを〔ヨーロッパ〕大陸で見習つてゐて、フランス語とイタリ語が話せる、風景畫が描ける、歌も相當に歌へる、舞踏となると神技に達してゐると云ふわけであつた。併し何よりも彼はウォータルーで名譽の負傷をしたのである。十七歳の少女で、詩や傳奇小説を愛讀してゐるものが、なんでう以て此の武勇と練達の鑑に楯をつくことができようか。
 舞踏が終るや否や士官はギターを手にとつて、昔ながらの大理石づくりの爐に凭れながら、それと意識してやつてゐるのではないかと疑はせるやうな身構へで、フランス語でトルバドゥアの小曲を歌ひ始めた。すると老主人は之に故障を申出でて、クリスマス・イーヴにはわがはえあるイギリスのものの外はいけないといましめた。それを聞くと此の若い吟詠詩人は、しばしを上げて記憶を辿るやうな樣子をしてゐたが別の曲を奏で始めた、そして慇懃な魅惑を含んだ姿態で、ヘリックの『ジューリアに贈る小夜曲』を歌ひ出たのであつた。

螢のまなこ 君もちて、
流るる星の從はば、
 小人のむれも
 小さき目ひからし
火花と照りて、君をまもらん。

君をあざむく 鬼火 なく、
蛇、くちなはも あだはせじ、
 君行く路は
 やすらかに
怪性のものも 君をあやめじ。

夜のくらやみも さはる なく、
月の光は まどろむも、
 星の かづ かづ
 光を わかち、
燭の火の 數かぎりなし。

ジューリアの君よ、きみ想ふ、
わが許へ 君來まさば、
  白銀のみあし
  われ迎へて、
心のたけを 君にそそがん。

 この歌は殊更に、美しいジューリアのために歌はれたものかも知れないし、或ひはさうでないかも知れなかつたが、彼の舞踏の相手はさういふ名であつた。併し、彼女は確に、そんな意味の含まれてゐることは知らなかつたしるしに、一度も歌手を見ず床の上に瞳を落したままであつた。なるほど、彼女の顏は美しく紅潮し、その胸は優しく波打つてゐたが、併しそれはみな疑もなく舞踏で身體を動かしたためであつた。實際、彼女はいかにも無關心で、室咲むろざきの美しい花束をむしつて興を遣り、歌が終つた時には花束は見る影もなく床の上に散らばつてゐた。
 一座の者たちはいよいよ別れるとなると、昔の習はし通りに、眞情のこもつた握手を交した。廣間を通つて、わたしに與へられた室に行く途中、燃えさしのユール・クロッグはなほ消えやらず、物佗しい光を放つてゐた。若しこれが「亡者も畏れて出歩かぬ」季節でなかつたならわたしは部室をそつと夜半に拔け出して、妖精どもが爐の周圍で躁宴に舞ひ狂つてゐはしまいかと覗き見したい誘惑に從つたかも知れなかつたのである。
 わたしの室はこのやかたの古い部分に當つてゐて、物々しい家具調度類は巨人の時代に造られたものかも知れないのだつた。室をとりまく鏡板にはぎつしりと彫刻が施され、花模樣と異形の顏が不思議な組合せになつてゐた。そして一列に並んだ黒ずんだ肖像畫が悲し氣に壁の上からわたしをぢつと見詰めてゐた。寢臺はどつしりしたダマスク織で、色は褪せてゐたけれど高いとばりが附いて居り、張出窓と向ひ合つた壁の窪みに据ゑてあつた。床に入るか入らぬかに、音樂の調が突然くうに、窓のすぐ下の方で起つたやうに思はれた。耳をそばだてて聽くとそれは一隊の樂手が、どこか近隣の村から出て來て、クリスマスの歌を奏するのだと推想された。彼等は邸館のぐるりを※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて窓々の下で音樂を奏した。わたしは窓帳カーテンを引きあけもつとはつきり聞かうとした。月の光が窓の上部をとほして射しこんだ、そして古風な部屋の一部分を照した。樂音は、遠退くに從つてだんだんに柔かく、空に漂ふやうに聞きなされ、あたりの靜寂と月の光とに調和するやうに思はれた。わたしは、いつまでもいつまでも耳をこらして聞き入つた――樂音は次第にかすかに、遠くなつて行つた。そしてその音がいつとなく消え去るとともに、わたしの頭は深く枕に沈み、そして睡りこけてしまつた。



底本:「スケッチ・ブック」岩波文庫、岩波書店
   1935(昭和10)年9月15日第1刷発行
   2010(平成22)年2月23日第31刷発行
※「並樹道」と「並樹路」の混在は底本通りです。
入力:雀
校正:小林繁雄
2013年7月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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